2020年9月25日23:30 J-WAVE「VOLVO CROSSING LOUNGE」ゲスト:安田章大
☆安田章大写真集「LIFE IS」発売週に伴う、ラジオ出演時の書き起こしです。
☆8000字を超えるので長いです!安田さんもアンミカさんも情報量多い。
☆語順てにをはなど直している箇所があり、発話通りではありません。
☆( )内の記載は、本項筆者による補足や、つい漏れ出た心の声で、ご出演の皆さんの言葉ではありません。
<<OP:サウンドロゴ>>
アンミカ「みなさん、こんばんは。アン ミカです。毎週金曜夜、11時30分からお届けするこの番組では、素敵なゲストとの会話を通してより豊かなウィークエンドを過ごすためのヒントを探っていきます。今夜のゲストは、関ジャニ∞のメンバーの安田章大さんです。関ジャニ∞ではギターを担当、今週、アイドルの枠を超えた生命力溢れる写真集を出版されました。そのお話についてもお伺いしたいと思います。
ウィークデイから週末へとクロスしていくひととき。ラジオをお聞きのみなさんもゆったりとFIKAしながらお楽しみください」
*FIKAとは:スウェーデン語の動詞・名詞で「(通常甘いものを食べながら)コーヒーを飲むこと」。スウェーデンでは10時や15時にフィーカする習慣があるらしい。日本語でこれにあたるのは「お茶する」でしょうか。スポンサーのVOLVOがスウェーデンの自動車メーカーであることから引用している模様。
<<タイトルコール〜CM>>
アンミカ「今夜のゲストは関ジャニ∞の安田章大さんをお迎えしています。こんばんは」
アンミカ「よろしくお願いいたしますー」(アンミカさんは語尾が伸びる)
ヤス「お願いいたしまーす!」(ヤスくんは語尾あがる)
アンミカ「みなさんご存知かと思いますが、安田章大さんのプロフィール、ご紹介させていただきまーす」
ヤス「ありがとうございます」(控えめな感じの低音)
アンミカ「安田章大さんは1984年9月11日生まれ。兵庫県の出身。血液型はA型。お姉さんがジャニーズ事務所に勝手に送った履歴書がきっかけでオーディションに合格。関西Jr.として活動をスタートします。2002年に関ジャニ∞を結成。2004年に『浪花いろは節』でCDデビューします。関ジャニ∞の活動以外でも、役者としてドラマや舞台、映画で活躍。昨日、写真集『LIFE IS』がマガジンハウスから刊行されました。
写真集完成おめでとうございます(ここから関西アクセントになるアンミカさん)」
ヤス「ありがとうございます。なんでなんですか、アンミカさんのこの声のバリエーション半端ないですね(そこに突っ込むか!)」
(二人笑)
アンミカ「もうバレたやんか」
ヤス「このヘッドフォンで聞いててすげーいい声やねんなーって改めて聞いてた今」
アンミカ「ありがとうございます」
ヤス「すごいすね」
アンミカ「もうそんなんやったらもう章大くん、ラジオ始まる前まで関西弁バリバリで喋ってたのがばれるじゃないですか」
ヤス「あー申し訳ない」
アンミカ「いやいやでも、実は、関ジャニ∞としての写真集は発売されてますけど、メンバー個人としては安田章大くんが初めてなんですよね」
ヤス「そうなんですよね。ボクもあんまり気にしたことなかったんですけど、あんまりジャニーズ事務所内でも個人で写真集を出している方があんまり多くないみたいですね…」
アンミカ「そうかもねあんまり聞かへんかも」
ヤス「うん」
アンミカ「これは、病を通じて道を見出すというか、そこから第二の人生いただいて、写真集ということになるんですけど、これ写真家の方からのお話がだったんですか?ご自身からですか?」
ヤス「えっとボクが、岡田敦さんという写真家さんにオファーさせていただきました」
アンミカ「これ実はカメラマンは写真界の芥川賞と言われている木村伊兵衛写真賞を受賞されたあの岡田敦さん」
ヤス「はいそうなんです。ボクが岡田さんと出会ったのは10年…10年ちょっと前なんですね。そのときに、命を扱うものの写真集をいっぱいたくさんボクいろいろ見に行ったり買いに行ったりとかよくしていて、でそのときに見つけた写真集の中に岡田さんの写真集があって、『たまらん』ってなってもう(息が抜ける声)」
アンミカ「んーインパクトありますよねえ」
ヤス「青天の霹靂じゃないですけど もう ずどーんときて(興奮気味)、で(穏やかに)岡田さんに撮っていただきたいって思ったんです」
アンミカ「プロポーズして(うまいこと言う!)。ほんとうに…代表的なものの一部で(言葉を選ぶアンミカさん)、言葉に出すとちょっと変わった言い方ですけど、出産とかリストカットの傷とか、もろに人間の対峙した痕みたいなものを出す方ですよね」
ヤス「そうですね。写真なのに五感を使って見れるというか、動画みたいなんすよー(←投げるような長音ではなく、含めておくような)。時が止まってなくて、ずっとそこに命が宿っている状態が、岡田さんの写真には、あるなーって岡田さんの写真にはずっと感じていて」
アンミカ「人生のこう記録みたいなね」
ヤス「そうですね」
アンミカ「で今回は、自らがそこと向き合ったということで極寒の北海道の根室で撮影。これは私は、先に拝見させていただいて感想言うのもなんなんで、安田章大さんのお口から聞きたいんですけど、コンセプトはどういったものだとご自身ではお考えですか」
ヤス「ボクはアイドルという職業をやってますけど、きれいなものばっかりを見たくなるものだと思うんです」
アンミカ「夢をみんなに与えるっていうね」
ヤス「でもそれだけじゃ嘘くさいというか、断片的すぎて、人としての立体感がないんじゃないかな って思っていた自分がいて、なので、ボクのこういう経験値をとにかく渡していくべきなんじゃないのかーって思って、手渡していくことで、きっと今疲れている方が多いのかなーと思っていたときだったので、ちょっとでも誰かの背中を押せたらいいなあ…っていう思いで、このコンセプトの写真集を作りました。誰かを押したい…?背中を。押し付けがましくはなりたくはないんですけど、バイブル本とかになってくれたらいいなーって感です」
アンミカ「まっっっ白な雪の中で、まっっっ黒な装いに身を包んで、こういつもより髭も生やして自然体で、髪も伸びて、目から涙がこぼれるかこぼれないか位の、でも希望っていうかちゃんと上を向いてるっていう表紙が、ほんっっとにメッセージがいろんなものが見る人によって感じ方がきっと違うっていう、もう無なのに濃くあるっていう、ね」
ヤス「そうです。そう言っていただけるとほんとにありがたいです」
アンミカ「般若心経みたいな写真集よ色即是空な」
ヤス「うれしいですー。やー…余談でいうと、髪を緑にしてる理由も自然の緑を体に取り入れるって意味だったんですね。その当時髪の毛染めてたときは理由を言ってなかったんですけど、で髭も伸ばしたのもそういう意味もあったり、メガネつけないと生きていけないボクになっちゃった身体なので、敢えてこのメガネが似合う髪型とかスタイルがなんなんだろうっていっぱい模索していたときもあったし。とにかく人間が野に放たれたらこうなっていくだろうなということを想定して、ピアスも黒と透明をつけてるんですけど、それはそういう意味合い…「生と死」というかずっと輪廻していくんだよというのの表裏(ひょうり)をすごく表現したくて。自然と頭の中にずっとあるのが、次の誰か、ボクの次の後世の方いるじゃないですか。誰か人生歩む方。その人のために今生きてる感覚なんでずっと。だから不思議な感覚なんですけど。なんで?って言われても、や子供の頃からそうなんですよね…ってだけなんですけど」
アンミカ「でもそういう感覚って、すごい説明するの難しいけど、きっとそうなんですよね」
ヤス「そうなんですよう」
アンミカ「きっと私たちはもう誰かのバトンを受けてここにいるので」
ヤス「ですよね」
アンミカ「私たちも誰かにバトンを与えていく。でもそう思うと、自然とテーマになるのは地球だったり」
ヤス「そうなんですよ」
アンミカ「ここをきれいに渡していける環境にしないと」
ヤス「そう 残さないとダメなんですよね」
アンミカ「ねー」
ヤス「ボク、自然を信仰するほうなんで、無宗教なんですけど、自然神っていうのがボクの中で一番しっくり来てて、やっぱり森もそうやし、木もそうですし、水だってそうやし」
アンミカ「森羅万象ねー」
ヤス「森羅万象がまさに すべて だと思うので」
アンミカ「安田さんは2017年に脳腫瘍を患って手術を受けられて、実は今回の写真集のミニブックにもその闘病の様子とか、そのときのMRIとか、術後の様子とかそのまま、出されてますよね」
ヤス「そうですね。これが誰かのエネルギーに変わってくれたらいいなーって思ったからですね。知らなくていい事実ってきっとあるんですけど、知ってもらったことによってその人の人生が豊かになってくれたらいいなと思っているのでミニブックで分けたんですよね。強制的に見て欲しくない」
アンミカ「確かに」
ヤス「でも見たいと思ってくれた人は見てくれたらいい。あのときのボクはこうだった。だから今があるし。っていうふうなことをしっかり自分の中に浸透してもらえることによって、自分もひとつひとつ大切に歩もう って一瞬一瞬を志高く足搔けなければ、たぶん明日も足搔けないだろうしって思っているので、過去の自分を認めた上で、えっとみなさんも歩んでもらえたらなーというメッセージも込めて、見ていただけたらなーと。
ま正直、ボクより大病を患って、他界された方だったり、今も後遺症で悩まされていたり、たくさんいらっしゃると思うんですけど、その方々に対して失礼のないようにちゃんとメッセージは込めたつもりではいます」
アンミカ「すごくその 思いやり、思い巡らせていろんな方への配慮っていうのをすごく感じるつくりだなって個人的には思っていて」
ヤス「ありがとうございます」
アンミカ「病を通じて道を見出すって言っても、簡単なことじゃないですし、でもファンの方もたぶん いっしょに年を重ねてきて、病を経験されている方も」
ヤス「まあいらっしゃいますよね」
アンミカ「はい。あと身内が、私たちの世代はお父さんお母さんが…って方もいらっしゃる中で、今安田さんがニコっと笑ってるだけでこの笑顔っていうのはここを乗り越えてきた笑顔なんだなって思ってもらえると、心に力が湧くんじゃないかなって私も感じます」
ヤス「ありがとうございます」
アンミカ「さあではここで、一曲お届けしたいと思うんですけれど」
ヤス「あっありがとうございます」
アンミカ「じゃあ曲紹介の方お願いしていいですか」
ヤス「えーと関ジャニ∞で最近出ささせていただいた曲でございます。聞いてください。『Re:LIVE』」
<< Re:LIVE (2番ver.です) >>
アンミカ「今夜は関ジャニ∞の安田章大さんをお迎えしています。
今聞いてもらった関ジャニ∞の曲は ”がんばろう日本| We Are OSAKA” のテーマ曲なんですよね」
ヤス「そうなんですよ。もーほんとありがたいことに」
アンミカ「こちら、大阪から日本を元気にしよう、新型コロナウイルスの感染拡大防止を前提として、一刻も早い観光需要の回復に向けて、大阪・関西への観光客誘客促進を図るキャンペーンということで、大阪観光局さんがされているということなんですけど。今は関西の代表として関ジャニ∞さん、様々な形で地元の関西に貢献されて、安田さんも故郷に錦というか、喜ばれたんじゃないですかご両親も」
ヤス「いやー両親はもうボクの歴代の写真とかをいっぱいたまに飾っていて、それくらいよろこんでいるんだと思ってます」
アンミカ「ねー」
ヤス「いや関西代表なんてこんな言葉言ってもらえんねんなと思って今ちょっと、じーんとした。なんていうんですかね。デビューも最初は関西限定だけで出ささせていただいて」
アンミカ「覚えてるわあ」
ヤス「そうですよねアンミカさんは」
アンミカ「ハイヒールモモコさんがめっちゃ応援してくれてなあ、うん」
ヤス「だからオレすごい感慨深いもんが今ありました」
アンミカ「関ジャニ∞が東京に出てきて、ガッときたときも感慨深いものがあった。もうあっと今にね」
ヤス「やーうれしいなーそれがだってもう観光シンボルのキャラクターなんですもん(マジ感慨深げな声)」
アンミカ「そうですよ、だって先月ね、2025年開催の大阪・関西万博の公式ロゴ発表されましたけれども。もう 大 阪 観 光 シ ン ボ ル キ ャ ラ ク タ ー 。旬ですもんねえ」
ヤス「いやいや(いい気分げ)。ほんますごいですねえ。なんかオレこの字面見てビビりますわ」
アンミカ「あっはっはあらためてね」
ヤス「なんなんやろ!はーでも不思議やなーやっぱり」
アンミカ「んー人生」
ヤス「お姉ちゃんが送ったきっかけでこうなってんですもんね」
アンミカ「あれってやっぱほんとなんですか安田さんは」
ヤス「ボクはだって中学校のバレー部終わって帰ってきて、そしたら勉強机の上にぽつんと封筒が置いてあって『なにこれ?』って思ってなんも書いてなかったんですよ。で裏返したら”ジャニーズ事務所”って書いてたんかな、でぱっと横見たら、お姉ちゃんが『巨人の星』の”頑張って”っていうてちょっと顔出してるヤツあるじゃないですか(飛雄馬の姉ちゃん星明子な)、そんな感じでお姉ちゃんがのぞいてたんですよ」
アンミカ「あははははは」
ヤス「なんやこれーって思て」
アンミカ「弟どんな顔するやろみたいな?」
ヤス「そうそう。なんかそしたら『ごめーん』って言われたから何?って思ったらそうやった(=黙って弟の履歴書を送っていた)」
アンミカ「え章大くんはもともと、芸能人になりたいアイドルになりたいとか周りに言うてたの?」
ヤス「全然なかったです。だってボク動物園の飼育員かお絵描きさんになりたかったんですもん」
アンミカ「絵を描くんですか?」
ヤス「趣味で。今も。習ったこともないんで。すごく自分の趣味な絵を描いてるだけなんですけど」
アンミカ「へー。お姉ちゃんとおいくつ違いで」
ヤス「3つです」
アンミカ「かわいがられてて」
ヤス「んー。ようケンカはしてましたけどすごく仲がいいですねえ。おとついも電話でしゃべったかな」
アンミカ「すごいねこの年齢になってなかなか電話するまでってないから」
ヤス「なににもならないメダカの飼育の話してました」
アンミカ「かわいい。素朴」
ヤス「家でメダカ飼ってるんで」
アンミカ「ほんとー。もう動物大好きやーん」
ヤス「そうそう」
アンミカ「今いろんなお話をお伺いさしていただいたんですが、いろんな人に感謝しつつ、最近ちょっとこういった時代で自分の時間ってできてると思うんですけど」
ヤス「ああそうですね」
アンミカ「そういった中で、自分が何か自分を満たせる時間ってどういうことされることが多いんですか?」
ヤス「えーと昨日は、自転車を…。ボク、アーシング?」
アンミカ「アースとね、触れ合う…」
ヤス「(アーシング)が好きで、木触ったりとか地面に触れたりとか、それこそビーチに行けるときはねビーチに行って、自分の素足で歩くとか」
アンミカ「あ いいー」
ヤス「でも行けないじゃないですか今。昨日はチャリンコ…自転車乗りながら40分くらい自転車漕いで、汐留に行きました」
アンミカ「なるほどー」
ヤス「汐留という場所を調べていただけたら。あ50分か」(ヤスくんの家は汐留から自転車で50分県内;小声)
アンミカ「私も車で近郊の、すぐ近くにいけるとこだったら意外とお仕事で千葉にも行くので、砂浜があったら、あっ足が触りたいとか潮の香りを聞きたいとか(聞香っていうもんね)」
ヤス「うんうんうんうん」(短く刻むように)
アンミカ「波の音を聞きたいとか、手を窓から外に出して風を手で触りたいとか」
ヤス「すごくわかりますそれ」(この時の声、低めに響く好きな声)
アンミカ「あるよね」
ヤス「むっちゃやりますもーん」(ああこの低めの声って本能の声なのかも)
アンミカ「むっちゃ生命、生きてるって思うよね」
ヤス「そうなんです(スタッと早口で)。みなさんあんまり気づきがないかもしれないですけど、風も生きてるんですよね」
アンミカ「うん」
ヤス「そこなんですよ」
アンミカ「ただ音だけビルの中で聞いてると、あーもう風こわいなうるさいなとかなんねんけど、自分が手を触れて感じると自分の生命力を感じるというか、生かされてるとか、これを感じれている自分に感動するとか。なんか病を通じるとそういうとこの気づきありますよね」
ヤス「ありますね」
アンミカ「自然に生かされているみたいな」
ヤス「ボクあの、写真集の中には一切書き込まなかったんですけど、動物の毛皮纏ってる写真あるじゃないですか。ボクねえそれ撮ってるときに、その動物の気持ちになったんです」
アンミカ「ふーん」
ヤス「そしたら(撮影後)言葉を綴ったんですけど、それは写真集には載せてないんですけど、ちょっとだけ読み上げていいですか」
アンミカ「あお願いします」
ヤス「これもう世の中にもう一切出さない言葉なんで。
動物たちは人が森に入ってくると警戒し息をひっそりと潜める
部外者はみんな敵 殺るか殺られるか
熊の毛皮を纒い、雪深い森深くに潜んでみて見てそう感じた
ボクたちもきっとそうなんだな
ましてや同じ人間同士なのに警戒線をいつも張り巡らして生きているんだな
過度の警戒線や無駄な予防線を
頭が良すぎるが故に知性と理性を使い過ぎて 張りすぎている
ただそれも本能からくるものなのかもしれない
ただ願わくば生きとし全ての者たちが
ただ生を授かり存在しているときが偶然一緒なだけの同志なんだとしたら
どうか無抵抗で足掻かず、水の流れてくる都度都度の状況に
水のように滑らかに形を変え、対峙して共存していきたいものだ
無でありたい
…って書いてますね」
アンミカ「はーーー(息を吸う声)」
ヤス「なんか。ごめんなさい読みすぎたんですけど。なんかこの動物の気持ちはほんまに殺るか殺られるかってことなんやなってこれは写真を撮ってもらってる岡田さんとボクもそうだったんですよ。でこれは岡田さんとも意見が一致したんですよね。岡田さんも殺るか殺られるかで写真を撮ってる。ボクも殺るか殺られるかで写真を撮ってる
岡田さんがボクという、動物になってるときのボクを狩りに来てるってすごい思えたんですよね。だからたぶんこういうちょっと張り詰めた空気感 で動物の毛皮も撮ってた表情なんだと思います」(ここまで超早口)(アンミカさんも息を飲むという気配)
アンミカ「もうリアルに毛穴とか リアルに寒さの中の唇の皺とか、すんごいリアルで、ほんっとにそういう 生命 力とか 生と死とか 影と光とかなんかこういういろんな、んー死と再生とか」
ヤス「んーそこには歴史も関わってくるなあ と思って」
アンミカ「受け渡し合う過去と未来とか いろんなものをほんとに感じる写真集でした。あの、ほんとに”生と死の輪廻”…がテーマだとは私からは言いたくはないけど…というものを感じた、白と黒の世界の安田章大さんの姿をぜひ、このマガジンハウスの『LIFE IS』感じていただきたいと思います」
ヤス「ありがとうございますほんとうに」
アンミカ「きょうはなにか、最後にひとことございますか、みなさんに?」
ヤス「楽しいという定義は難しいと思うんですけど、人それぞれなので、でも、笑いジワをいっぱい作って生きて欲しいです。…あははっ。すごくシワはいやだなーって、女性の方も男性の方も思われると思うんですけど、その人の生きた証なので。シワの数だけその人は豊かな人生を歩んできたんだろうなーって思いますので。シワって笑った時だけじゃないと思うんですけど、痛かったりも苦しかったりも。でもそのシワの数だけ自分が生きてきたんだなーってことを実感してもらえたらいいなーなんて、思います。それと含めて、楽しかったって思ってもらえたらなと思います!」
アンミカ「ありがとうございましたー」
ヤス「ありがとうございました。なんかすいません。恥ずかしい。暗い。語っちゃいました」
アンミカ「いやほんっとに楽しい時間ありがとうございました」
ヤス「ありがとうございます。幸せでした。ありがとうございます」
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書き起こしに楽譜があったなら、この会話の声の高低や緩急や間、を書き残せたのになあと、ただ一字一字を綴るしかないことを悔しく思う。
ファンとしてはヤスくんの熊の毛皮を纏った写真撮影時の感覚を綴った一文がこの番組中のハイライトかと思うけれど、全編に心地よさが溢れていた
深夜であることも意識されていたのか、安田さんの声も低く抑えめで穏やかだ。だからこそ、思いの募る箇所や親しみが表出する様がはっきりする。
トークの冒頭で安田さんがアンミカさんの声の表現力に感嘆したように、大阪育ちであるアンミカさんとの打って応える対話のリズム感や、自然に対する意識や感性が響きあう空気がとにかく心地よい流れを生んでいた。
LIFE IS 関連でのトーク番組出演は、上手な聞き手を選んでいるなあとしみじみ思います。
2020/9/23:TBSラジオ「伊集院光とらじおと」安田章大と。【後編】
☆安田章大写真集「LIFE IS」発売週に伴う、ラジオ出演時の書き起こしです。
☆前半はジャニーズとしての経歴、病気について。後半は、写真集についてお話しています。
☆語順てにをはなど直している箇所があり、発話通りではありません。
☆( )内の記載は、本項筆者による補足や、つい漏れ出た心の声で、ご出演の皆さんの言葉ではありません。
☆水曜担当アシスタントが安田美香アナなので、
安田章大さん=ヤス 伊集院光さん=伊 安田美香アナ=美 と表記します
↓【前編】はこちら
http:// 2020/9/23:TBSラジオ「伊集院光とらじおと」安田章大と。【前編】
<<CM/天気・交通情報明け>>
♪ジングル♪
伊集院「改めまして今朝はゲストに関ジャニ∞の安田章大さんをお迎えしています。引き続きよろしくお願いします」
ヤス・安田アナ「よろしくお願いします」
伊「炭酸水は?」
ヤス「ふだんからよく飲み続けているので」
美「ほんとだ今日も」
ヤス「一緒に存在したいなと思って」(←?)
伊「なんか炭酸水飲んだときのやるぞ感ってあるよね。スキッとする感とかちょっとわかるよね」
(和気藹々とした空気で後半スタートです)
伊「さあ、再三再四お話が出ておりますけど。先に曲をかけつつ、また写真集の話をしようかな。まずは曲の情報を”安田美香”から。安田がややこしいんで。さっきから言わなかったんですけど、『安田くんは…』って言うたびにちょっと(こちらを)見るからね」
美「反応しちゃって!」
(パチパチ拍手の音がするのは安田さんでしょうか)
伊「何度も見てるからね」
美「ほんとすみません!(笑)」
伊「(安田アナのことは)呼び捨てですからこっちは。安田。お願いしますよ」
美「はい!お伝えします。関ジャニ∞の44枚目のシングル『Re:LIVE』が先月リリースされました。コロナ禍の中、ファンとの絆や繋がりをテーマに作られた曲でして、2番の歌詞は、ファンから募ったおよそ4万通の言葉から作られています」
伊「おもしろい試みだね!」
ヤス「はじめてですね。関ジャニ∞とファンのみなさん:エイターと呼んでるんですけども、エイターとで”共同作詞”といいますか」
伊「へええ。これも、ファン代表の誰かが丸々作るんでもなく、その言葉をとにかく集めようぜってことなんだ」
ヤス「はい。渋谷が辞めていったり錦戸が辞めていったり、ボクも病気がありました、いろんな経験をした3年間で感じてきた感情を、今この環境下でちょっと綴ってみようということで」
伊「まず聴きましょうかね。じゃあ安田くんの方から曲紹介をお願いします」
ヤス「はい。みなさん聴いてください。関ジャニ∞で『Re:LIVE』」
<< Re:LIVE >>
(1コーラス:話題になった2番までいかず、かぶせでトークに入ります。
番組は2番で歌われることが多かったけど1番あらためて聞くと大倉さん渾身の力強い歌詞だなあと思う。eighterの歌詞は、この1番に引き出されてのリプライなんだよね。しみじみ…)
伊「お互い曲を聴きながら何をやっていたかと言うと『最近読んだおもしれえ話あります?』って話を交換したりしてたんですけども。ねえ。この『Re:LIVE』っていろんな瞬間にあるよね。今まで一番好きだったメンバーが関ジャニ∞離れたって子だってそりゃいるもんね」
ヤス「そうですね。だからいろんなこと思う人がたくさんいると思いますし、たまたまこんな人生になったってことだと思うので。
で、この『Re:LIVE』って『生き返る』『生まれ変わる』とかの意味もありますけど、やっぱり命生きてる中で、わざと”Re”...アールイー(←ラジオなので説明しています)にカンマカンマ(コロン”:”のことと思われる)って書くんですけど、”返信し合う””お互いの気持ちを届け合う”って意味も込めてるので。なのでこういうふうにボクたちで一緒に言葉を綴りあった、っていう…」
伊「しかもそれが4万通も応募があった中から。これ自分もラジオやってて思うんだけども『自分のは採用されなかった』と具体的には、って「そういうことじゃないよ!」っていつも思ってんだよね」
ヤス「そういうことではないです」
伊「そういうことじゃないんだよね。ラジオの投稿で毎回ボツになったとて、それがくれている数の力とか、この数あるからこそきちんと選ばなきゃって思うこととかってすごいあって」
ヤス「はい。そうですね」
伊「オレ、言ってること合ってる?」(熱弁して我に返る伊集院さん)
ヤス「むちゃくちゃ合ってます」
伊「よかった!」
ヤス「やはりみなさんで初めて力が合わさってこの曲が出来上がってるってことですからね」
伊「さあお知らせをもうひとつ!どうぞ安田からお願いします」
美「はい。安田章大写真集『LIFE IS』が明日24日木曜日、マガジンハウスから発売されます」(BGMがちょうど安田さんの落ちサビ)「税込4950円。全国の書店、インターネット書店などでお求めいただけます」
伊「いつもバラエティで会ってる感じは ”あったかい・暑いところで撮りそう” のイメージなんだけどオレは」
美「そうですよね、うんそうそう」
伊「ありえへん世界でのあの感じだと。キャッキャやってるあの感じだと。ハワイで撮ったっていい感じなんだけど。この寒そうなとこはどこ?」
ヤス「これは北海道の根室ですね」
伊・美「はぁぁぁぁーー」
ヤス「写真家の岡田敦さんがよく根室で写真を撮ってたんですずっと。で、ボクが岡田さんにこういうことがしたいと熱弁したときに、じゃあ安田くんが言ってくれてる熱をどこで撮れば写真として一番伝わるんだろうって考えてくださった結果、根室を選んでくださったっていう」
伊「撮られていてどうでしたか?」
ヤス「あのーこれは動物と動物が対峙しあっている感覚というんですか?殺るか殺られるかという感覚で撮りあっていた感覚でしたね」
伊「へえええ」美「はあああ」
ヤス「岡田さんもたまたまその思考だったんですよ。写真を撮るときは殺るか殺られるかの気持ちで撮っているって言っていて、話し合った訳じゃなかったんですけど、それがリンクしたんですよ」
伊「へええええ」(さっきより一段高いトーン)
ヤス「岡田さんはほんとに写真家さんの中でもなかなかシャッターを押さないタイプの写真家さん。たとえばボクがアイドルのカッコしてキラキラわざと笑ってるふうをしてると写真を一切撮らないんです」
伊「はあああー!」美「へー」
ヤス「だから人間の生の生々しさをちゃんと撮る人なんで、写真にそれが如実に出ちゃうっていう」
伊「すっごい(枚数)撮る人もいるじゃん」
ヤス「いますよね。ずっとパシャパシャシャシャって撮る」
伊「パラパラ漫画にしたらオレ動くんじゃねーかぐらい撮る人もいるけども」
ヤス「その通り」
伊「オレ写真がすごい苦手だから。その対峙してるときのなんつーのかな、『まだ押さねーんだ』っていうような気持ちすら消えるまでってどんな感じなの、集中の仕方っていうか」
ヤス「あのーその現地に行って、現場でボクも何も作らずに、立った瞬間に感じるままの感情でおったら撮ってくれてましたって感じでした」
伊「ああー」
ヤス「なので写真集の中で、クマの毛皮を纏ってて森の中にいるんですけどほんとのクマの感覚になってました」
伊「おうおう」
ヤス「自分がもしほんとにクマだったらどういうふうになってんだろうって思ってたら、いつの間にか『あーこれ殺られるなー人間が来たら』って岡田さんがハント(狩猟)する側の人間の感じになっていて、だから岡田さんを見てるボクの目線は鋭くなってるんですよね。その後自分で森を出た後にすぐに言葉を綴って、クマになった気持ちを全部、人間と動物の生き方、輪廻の仕方というか、共存の仕方ってこういう感情なのかなというふうなことを書いたりしていました」
(普通”生と死の輪廻”って、安田さんに関しては病気についての話題が付帯していることもあって、単純に受け取ると自分一人の生命の生き死にを想像するけど、安田さんの言う”輪廻”は、他の生命体を含めたもっと大きな自然全体、世界全体での話なんだね)
伊「今度、逆にクマのドキュメンタリとか見たときに、中に安田くんがいる気がしてくるよ」
<<一同笑>>
伊「今のオレの思い浮かべた感じってさ。それこそ安田くんクマに生まれ変わって、ほぼほぼ安田くんの記憶が消えてる感じじゃんそれって」
ヤス「そうですね」
伊「そすっと(そうすると)他のクマも誰かなんじゃねーかって。そういう説得力のある写真なんですよずっと。面白い。ファンの人の評価聴きたいよね」
ヤス「そうですねー。どういう。二次元のそんなキラキラしたアイドル写真集が欲しかったという方もきっといらっしゃると思うんです。でもね、どーいう反応が来るのかわからないんですけど」
伊「たぶんね、全く関ジャニにも安田くんにも興味がない人がいきなりこの本を手に取るのはあまりにありえないことだと思うんだけど、でもどこでも『あっ言ってたヤツだ』ってめくっては欲しいよね」
ヤス「そうですね。やっぱり経験値って、ボクも病気をしたからこそ、人の痛みがわかるようにもなりましたし、どういう方に見ていただきたいかっていうところで言うと、今も闘病なされている方だったり、後遺症に悩まされてる方だったりとか、生きていくのに苦労している方がたくさんいらっしゃいますし。あとジャニーズに興味がない方もいっぱいいらっしゃるかと思いますので、そのジャニーズやってるヤツがこんなふうに今生きてるんだってとこで、生きてく上で同じように歩んでもらえたらなーって思ってます」
伊「どれぐらいこういうものの本屋さんにある見本の本が、何ページ開けるかわからないけど、ラジオで言ってたヤツじゃんていうだけで、たとえば男性のフツーのオレぐらいのおっさんがぱらっとめくったページで、あ次のページも見たいや、これ家でゆっくり見たいやと思ってくれればそれが一番!」
ヤス「最高です」
伊「それが一番最高だよね。それはファンの人が買ってくれるのもうれしいけど、それと同等に、ラジオ出てもらってよかったって思う」
ヤス「いやそれ逆なんす。伊集院さんのラジオに出させていただけるって、いろんな年齢のリスナーの方がいらっしゃると思いますので、ボクにとってはほんとにラッキーなことでしかなくて。こんなタイミングで、こんなふうに出させていただいて、普段テレビ番組とかでご一緒させていただいてる伊集院さんと違う伊集院さんがいるんだろうなって思ってたので」
伊「いつもみんなでキャッキャやってるからね…」
ヤス「(笑)そうですね」
伊「横に美輪明宏さんいるしねえ。ぜひそちらもお邪魔させてください」
ヤス「はいぜひお願いします!」
伊「えー時間いっぱいということで、きょうのゲスト安田章大くん。ありがとうございました」
ヤス「ありがとうございましたー!!」
===コーナー終了===
2020/9/23:TBSラジオ「伊集院光とらじおと」安田章大と。【前編】
☆安田章大写真集「LIFE IS」発売週に伴う、ラジオ出演時の書き起こしです。
☆番組ホストの伊集院光さんは、関ジャニ∞(村上・丸山・安田)のレギュラー番組であるテレビ東京『ありえへん世界』に不定期でご出演いただいています。
☆語順てにをはなど直している箇所があり、発話通りではありません。
☆カギカッコがついていないのは話者ではなく、本項筆者から漏れ出た心の声です。
☆水曜担当アシスタントが安田美香アナなので、
安田章大さん=ヤス 伊集院光さん=伊 安田美香アナ=美 と表記します
<< 10時台コーナージングル>>
ヤス「安田章大と。おはようございます。きょうは伊集院さんの懐の深さに甘えたいと思います。みなさま聞いてください。よろしくお願いしまーす」
伊「TBSラジオ伊集院光とらじおと。時刻は10時になりました。
あらためましてこんにちは。伊集院光です」
美「わっしょい!アシスタント安田美香です」
伊「先に言っとくけど、今朝からTOKIOの周りが騒がしいけどその話はオレ聞かないよ。だってTOKIOのメンバーがまだ何もコメントしてないところの生放送で、本人ズケズケなんかしゃべれないだろうし、オレは安田くんとしゃべりたいことがいっぱいあるので、『なんで聞かないの?』みたいなのは全然なしでね、いろいろお話聞きます。
関ジャニ∞の安田章大さん。ねえー何度も言ってますけど、プライベートで会った時に”逃げる”という、オレが...『なんだなんだ?この元気に近づいて来る人は?』つって。その件から始まり…あとこの度写真集を出したんだけどさーなんかオレTVのバラエティで一緒になることが多いから、その感じとは全然違う安田くんのこととか。あと病気のこととか。ちょっといろんなお話聞きたいと思ってます。
安田章大さん。この後すぐ登場です」
<<スポンサーコール〜CM>>
美「伊集院光とらじおとゲストと。ここからはゲストをお迎えし、ご本人にまつわる”●●と”についてお話をお伺いします。
本日のゲスト:安田章大さんは、1984年生まれ。兵庫県出身の現在36歳。13歳でジャニーズ事務所に入所し、2002年から関ジャニ∞として活動を開始。2004年にCDデビューし、関ジャニ∞では主にギターを担当。数々のアルバムやシングル収録曲で作詞・作曲を手がけるほか、ジャニーズのグループに楽曲も提供しています。一方では2018年には前の年、大病により手術を受けていたことを公表。生と死の輪廻を映した最新の写真集も発売前から大きな話題を呼んでいる、安田章大さんが本日のゲストです」
伊「ということで、スタジオに安田章大くんです。よろしくお願いします」
ヤス「よろしくお願いします!安田章大でーす!」
伊「きょうはいつもよりか比較的まともな格好してるね」
ヤス「あっは(笑)いつもちゃんとしてますよー!ちゃんとしてるんですよ」
伊「たまにびっくりするような格好んときあるからね!それは毛布?みたいなときもあるし」
ヤス「寒いときやったんでしょうね、毛布のときは」
安「暖をとってたんですね」
ヤス「暖をとってたんでしょう!」
伊「でもプロフィール聞いてたら、13歳でジャニーズ入ったのね」
ヤス「13歳です。おねえちゃんきっかけです」
伊「ジャニーズそのパターン多いねやっぱね」
ヤス「ボクももともと芸能界に興味があった訳じゃなかったので。でもおねえちゃんがジャニーズに興味あったんですよ」
伊「で、わが弟を見たら、これはコネクションをつけられるんじゃないかみたいなそういうスタートかなあ」
ヤス「嵐の相葉雅紀さんがジャニーズJr.の時代のとき好きで、でそれで」
伊「そうなんだ。でも13歳どうよそういう世界に急に入って」
ヤス「いやぁー違和感でしたよー。だって部活動みたいな感覚ですよね。でもうちの母親にオーディションに行く前の日に『あんたみたいな子は受からへんねんから行ってきたらええねん』みたいなこと言われたんですよ。それにカチーン来て。ほながんばろ思てって感じでしたねきっかけは」
伊「聞く話だと、割とみんな温度差があって、すんごい入りたい!で目指してる人から、今(の話)みたいにちょっとぽかんとしながら『なんじゃこりゃ』みたいな人からいろいろいるって」
ヤス「そうですそんな感じで幅広いです」
伊「でオーディション受けてみて、オレ受かるなと思ったの」
ヤス「いやいやいや全然受かると思ってなくて。1週間後に連絡が行きますっていう状態で、やはり行ったからには受かりたかったって気持ちがあったから、1週間後には電話の前で待機してました」
伊「来い来いって感じで」
ヤス「トゥルルルって電話鳴って出て『あ違かった』みたいなの何回かあって」
伊「ちょっと軽いコントがあってからの」
ヤス「でほんとに電話がかかってきて、第三次審査じゃないですけど、レッスンがあるから来てくださいみたいな形で。で初めて出たのが、滝沢(秀明)くんが歌ってる後ろでただ座っていて、途中で立つ、という仕事でした」
伊「おお。おお」
ヤス「それで終わりっていうのが1回目の仕事でしたかね」
伊「へええ。そこから自分なりに ”売れた” はおかしいけど ”やっていける” って思えるまでどのくらい時間かかったの」
ヤス「いやぁぁぁーーーーこれはもう初めダンスで、東京のJr.の子達が先輩のバックで踊っていて、できあがったものを(先輩が)大阪に来る時に、1日2日前に呼ばれて振り付け全曲覚えて、覚えられた子が(ステージに)出られるんですよ。覚えられなかったら出れないし。でちょっとでも出れたときに、あ認められたかもって思いましたね」
伊「じゃあほんとにちょっとずつだ」
ヤス「ちょっとずつです。でも一番飛躍するのは、マイクを持たせてもらったときですね。マイク持ったときに『マイクってこんなに重いんや』ってみたいな。うれしかったですね」
伊「うわー。”ついに”って感じなんだ」
ヤス「はい(*ほんとにうれしそう)」
伊「あの他の人の歌の途中で"立つ"仕事から」
ヤス「マイクを持ったっていうのはデカかったですね(*笑顔が目に浮かぶ声)」
伊「関ジャニが始まるのはどういうきっかけなんですか?」
ヤス「関ジャニ∞自体は、デビュー前に一応メンバーは揃ってはいたんですけど、自分たちで大阪松竹座というところで舞台を今の関ジャニ∞のメンバーでやっていた感じだったんです。2002年から関ジャニ∞としての活動が開始して、CDデビューは2004年。まずは関西だけで。そのあと、昨日ですかね、関ジャニ∞の全国デビュー日でした」
伊「お誕生日だねある意味ね。何年なの」
ヤス「そうですね。17年めに入りましたね」
伊「まあ病気の話にもなるんだけどさ、例えば今までに、ヤメたいって思ったことは」
ヤス「あ何度もありますよ。やはり仕事がないし。で多感な時期に仕事がない中、自分がどうやって進んでいくんだろうって不安感もありましたし。ましてデビューできるなんて決まってもなかったんで。ボクたちは関西だったんで、野放しの地区なんですよ!」
<一同笑い>
伊「なるほど。ジャニーズの中ではちょっと英才教育感はないんだ!」
ヤス「全然ゼロですよ!ジャニーズ事務所ってものは東京にしかなかったので、ボクたちは電話一本で『じゃあ明日仕事に行ってください』だったので」
伊「へええー」
ヤス「もおおおボクたちはいつどうなるんだろう?って感じで」
伊「東京の本社と大阪の倉庫、みたいな。在庫はあるかー踊れる在庫はあるかーみたいな感じなんだ。その不安はすごい訳だ。TVでジャニーズ見てるのとちょっと空気違う」
ヤス「なーんかTVは先輩たちいっぱい出てるし、おんなじ同期のジャニーズも出てるし。なんなら村上くんとか横山くんとかもうみんな一回東京出て行ったりしてて、よくTV出てたんで、ボクとか大倉・丸山とかからしたら、おんなじ関西だけどTVめっちゃ出てるなーいいなーみたいな感じでした」
伊「はあーじゃもう何ランクも劣等感があって不安感じちゃうんだ」
ヤス「うん」
伊「その頃さ、ましてやさフツーの地元の友達見ちゃうとそれはそれで楽しそうじゃん」
ヤス「そうなんですよねー。複雑でしたよーだから」
伊「へええー」
ヤス「でも!やっぱりジャニーズに入ってなければ経験できなかったことがたくさんあったので、自分の両親は両親と思ってますけど、ジャニーさんとメリーさんはもうひとつの両親やと思っていて、やっぱりそこに引き上げてもらったからこんな風に経験値もらえるなと思います。だって中学2年生か3年生でハワイに連れて行ってもらってるんですよ。ありえなくないですか?兵庫県尼崎の小僧が、ハワイに中2−3で行ってるんですよ。考えられないですよ」
伊「USJ連れて行ってもらっても結構うれしいぐらいのところに」
ヤス「うれしい!それがハワイですよ!びっくりですよ!ノーシシア(*たぶんノースショアと思われる☆)に行かしてもらったんですから!」
伊「へええー。ジャニーさんは、安田くんにとってどういう人なのかしら。オレたちからしたら、ほんっとに謎に包まれてる人だから」
ヤス「敬語を使うなってまず言ってくれてました。ボクを友達のようにしゃべりなさいみたいな感じでしたね。
それと、一番最初に言われたのは、出会ってからそんなに経っていないのに『YOUは器用貧乏だよ』と言われました」
伊「いきなり」
ヤス「はい。どこを見てそんなふうに掴んだんやろ。自分の中でもコンプレックスとしてあったんですよ。なんでもなんとはなしに器用にできてきたんで。でもそれをどうしたらいいだろうって考えたときに、器用貧乏から全部器用にできるようになればいいんだなって考えを切り替えるきっかけをくれた人ですね」
伊「どの人に聞いても、そういうズバッていうひとことがなんかある人なんだね」
ヤス「そうなんですエグってくるんです本当のことを。いやもうコワイぐらいに。やあすごい、だからすごいですねえ、すごいご兄弟と言いますか」
伊「何度もやめようかなと思ったときに一番なんだろう...引き止められるモノ、とかコトはなに?」
ヤス「”メンバー”と”ファンのみなさん”の、ほんとにこの2つかな。あとは育ててきてくださったジャニーさんメリーさんの”恩恵”ですかね。仁義ですかねそこに関しては。やはり自分は一人ではここまで来られなかったので、すべて支えてきてくれた人がやってきてくれたことに対しての恩返しを、自分がこの仕事をしながらするっていうのが自分のスタイルなのかなとは思います」
伊「そのファンの人とか、っていうのが全然いい子ちゃん発言じゃないなと思ったのが、メール一枚きていて」
ヤス「はい」
伊「こういうことなんだなって思ったのは、りなりんさん31才女性の方:
”おはようございます。安田くんに質問があるのですが。私は病気が発覚して丸3年になります”」
ヤス「なるほど」
伊「”少しずつよくなってきていた最中、再び数値が悪くなってしまい、少しだけ不安になってしまいました。質問なんですが、どうしたら安田くんみたいに前向きで温かい心でいられますか?”__みたいな話なんだけど、芸能の仕事ってこういうことな気がするの」
ヤス「ああなるほど」
伊「自分だけじゃないじゃん。病気して落ち込むことって自分だけじゃないじゃん。このあとちょっと病気の話もしてほしいんだけど、どうやって闘ったの」
ヤス「ボクは、誤解を招くような言葉はこういう生放送で言いたくないですけど、命あるものはいつか途絶えてしまうだろうし、でも、それを覚悟した上で生きていくから、”一瞬一瞬起きるたった今が楽しい”という生き方をすべきかなと思うんですよね。”たった今”が楽しくなければ、明日もきっと楽しくないであろうし、楽しくないと思いながら生きちゃうと明日はもっと楽しくなくなっちゃうだろうなあと思うから、ほんと今が楽しいと思える感情を、常に持ち続けることによって、明日もっと明るくなるっていう生き方をして、ボクは歩んできました」
伊「安田くんの場合は2017年の2月、いわゆる脳腫瘍の一種なんですね --髄膜腫っていうことで、頭を開いて腫瘍摘出手術を受けましたと。さらに後遺症もあってふらつくでしょう。倒れて骨折みたいなこともあったと」
ヤス「はい(*声が硬いように聞こえる)」
伊「オレはこの比じゃないけど、一度かなり深刻なヘルニアになって入院したときに、いろんなことを言われたけど、一番オレの参考になったのは、アニマル浜口さんが本に書いてた『昨日より痛くないと思い込め』っていう」
ヤス「あははは!それ大事です」
伊「スゴくない?ねえ。昨日よりちょっと楽しいと思い込んでかないと、次の日絶対楽しくなくなるのは、それと近い気がするんだよね」
ヤス「心のもちようなんですよね。心を健康に保ってあげると体が健康になっていくし。ボク自身もヘルニアの手術痛いの2回経験してるので、わかるんですよね。そういうふうにいろんな経験値があると、どうやって生きればいいんだろうっていうの(選択肢)が増えてくるなあと。
りなりんさんも、よくなったり悪くなったりの繰り返しは人生の中に必ずあると思うんで、その中で自分の心をどういうふうに育てれば明日が楽しく生きれるんだろうってことを自問自答することが自分を強くするきっかけになると思いますかね」
伊「最初はそうとうショック?」
ヤス「まったくショックじゃなかったんですよ。これが。不思議なんですよね」
伊「えっ!?どういうことどういうこと?」
ヤス「MRI、最初はわかってなくて、ボク元々偏頭痛持ちで、調べたことなかったのでちょっと脳波取りに行っていいですか?ってマネージャーさんにお伝えして、そしたらMRI取ってる最中に、とんとんとんってお医者さんに起こされてちょっとこっち来てって言われて見に行ったら、そのMRI画像に野球ボールみたいな腫瘍があって、大きかったんですよ。これ腫瘍だからダメだねえって言われて、ああそうですねえ腫瘍ですねえっていうテンションでした。そのあとチーフマネージャーさん呼んでって言われて」
伊「今スタッフに渡されたんだけどこれは...」
ヤス「ミニブックなんですけど。写真集につく…」
伊「えっ今回の写真集に付く?あっそのときのMRIの画像をミニブックにお付けしてるの??ミニブックってそういうもの???あっそうなの。それは覚悟のもんだね」
ヤス「これは病院に入院したときのほんとに手術直前の写真から」
伊「開頭手術跡の接合面あるじゃんか。ほんとに全部包み隠さず見てちょーだいってことなんだね」
ヤス「アイドル=きれいな存在という見られ方をする立場ですけど、より近い距離感で心と心で繋がる立ち位置でボクは存在していたかったので、これからの自分のジャニーズの中でのアイドル像を”2次元”じゃなくて”2.5”とか”3次元”とか、より立体的に、人間らしい、人間力のある”ただの人”という存在になりたくて、こういうアプローチの仕方をしてみてます」
伊「面白いね。カッコいい…踊りカッコいい、歌カッコいい人ってもしかするとちょっと記号的だよね。それを頑張るっていうのも仕事じゃん実際は。そういうランドマークの人がいるのも仕事だけど、あの人簡単じゃないんだ、あの人も大変なことを経験してるっていうのはもしかしたら”2.5”かもしれない」
ヤス「そうですねえ。そういうところを求めてくださる方々もたくさんいらっしゃると思いますし、そういう(カッコいい)道を作ってきてくださった先輩たちがいるから今の自分がこういうふうに行けるんであろうし。より、みなさんと同じような生き方をしてますよーっていろんな感情を毎日ぐるぐる回しながらアイドルという仕事をしていますってことを、なんか、胸を張って言いたいなーと思って」
伊「最初はそれほど強く『大変なことですよ!』という先生じゃなくて、割とふわっと教えてくれる先生で」
ヤス「ボク自身も『あそっか。なるようになるなー』っていう感覚でした」
伊「大変だったのは何?」
ヤス「えーーーーーー(←正確にはえとあとおの間の音)親がショックを受けたことがボクにとっては」
伊「あー自分よりもずっとなんだ、親が大変だ大変だなってんだ」
ヤス「やっぱ心配してました親が。それを見てる自分が一番辛かったですね。ボク自身は、途絶える時は命は途絶えるし、生きてる時は生きてるしって感覚で、手術の前日も手術の日も手術の数分前も何も怖くなくて、そのままって感覚だったんですけど、手術終わった後、父親の声、母親の声、おねえちゃんの声を聞いたときに、ああツラい思いさせたなーって思いました」
伊「オレ、このことをきちんと公表する前も一緒に仕事してるよね。最中の頃に仕事しててもわからないからさ、それこそメガネを変えたりしたじゃん。あれも強い刺激がなるべくに入らないようにって色でしょ。でも知らないからさ『まーた変わった格好始めたな』と思ったりしててさ」
ヤス「あははそうですよね。絶対そうだと思います。あっそういう意味ではボクずっと、手術をしたことも伝えられなかったりとか、色付きのサングラスを着けないとテレビに出られないとかはもどかしかったです。誤解を招いているなーというふうには感じていたので」
伊「オレは誤解っていうか今はこういうのが流行ってるのかなって。あまりにメンバーとしゃべってると明るくて楽しそうだからさ。その明るさからは、今深刻な病気の状態があるとか全然思わないからさ。ほら、そもそも出会いがしまなみ海道の変な島の駐車場だからあ」
ヤス「だって伊集院さんどっか逃げていくんですもん」
美「あっははははは」
伊「びっくりするわ遠くから急に。すごい手ぇ振りながら。しかも芸能人がいるとお互い思わないよね」
ヤス「それはそうですよね」
伊「小さな島の誰もいないような駐車場なんだから。きったねー木から落ちちゃったようなみかん売ってるようなところなんだから。そこでぐったりしてたら、向こうからすーげえ明るいお兄ちゃんが来るからさ。そのまんま自転車にまたがってんの。
ヤス「おもしろかったあんとき」
伊「今一番楽しいことなんですか?やれることやれないことある中で」
ヤス「あーまあこんな環境下ですけどボクよく外に出て日光浴するんですよ。例えば自転車に乗って、今東京に住んでたりするんですけど、40分自転車で走ったりとか。日光浴しながら自転車で走るとか。風を浴びるとか、ベンチに座って風の音揺れてる音聞いたりとか好きなので、それが一番心地いいですかね。
それから木ぃ触ってみたり、地面に素足で触れてみたり。そうすることでアーシングできるんで、自分の中に溜まった電磁波を流していくっていうか」
伊「アーシングはearthのアースか!そういう感じがするんだ!」
ヤス「はい。なのでそれでリフレッシュしていくっていう」
伊「そのストレートな言葉に説得力があるのは、あの大病をやって、その大病の後のこととも一緒に生きていると、オレらはそういうのがないと『コロナのせいで!』ってなるんだけど、そんなことは手前に経験しちゃってる感じなのかなあなんか」
ヤス「ボク的には今伊集院さんがおっしゃってくださったように、コロナ禍になった中でもそれまでの生活となんら変わらず、心の健康状態もなんら変わらなかったです。だからどんどんどんどん、自分がどうすればいいのかを探して書物を読んだりして自分の好きな思考を巡らせていってましたね。ネイティブアメリカンの書物とか老荘思想の本とか」
伊「ほうほうほう!すごいとこ行くね」
ヤス「そういう書物を読んで思考を自分の中に取り入れたりとか、あと稲盛和夫さんの本とか読ませていただいたりとか」
伊「はああああジャンルすげえな!」
ヤス「いいとこを自分の中に貯めていって、表に出していけば、みなさんにも届くし、自分の中でも心が安定するしっていう生き方を選んでみてますね」
(ここまでで20分:ここからは写真集のお話に入ります)
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