2020/9/23:TBSラジオ「伊集院光とらじおと」安田章大と。【前編】
☆安田章大写真集「LIFE IS」発売週に伴う、ラジオ出演時の書き起こしです。
☆番組ホストの伊集院光さんは、関ジャニ∞(村上・丸山・安田)のレギュラー番組であるテレビ東京『ありえへん世界』に不定期でご出演いただいています。
☆語順てにをはなど直している箇所があり、発話通りではありません。
☆カギカッコがついていないのは話者ではなく、本項筆者から漏れ出た心の声です。
☆水曜担当アシスタントが安田美香アナなので、
安田章大さん=ヤス 伊集院光さん=伊 安田美香アナ=美 と表記します
<< 10時台コーナージングル>>
ヤス「安田章大と。おはようございます。きょうは伊集院さんの懐の深さに甘えたいと思います。みなさま聞いてください。よろしくお願いしまーす」
伊「TBSラジオ伊集院光とらじおと。時刻は10時になりました。
あらためましてこんにちは。伊集院光です」
美「わっしょい!アシスタント安田美香です」
伊「先に言っとくけど、今朝からTOKIOの周りが騒がしいけどその話はオレ聞かないよ。だってTOKIOのメンバーがまだ何もコメントしてないところの生放送で、本人ズケズケなんかしゃべれないだろうし、オレは安田くんとしゃべりたいことがいっぱいあるので、『なんで聞かないの?』みたいなのは全然なしでね、いろいろお話聞きます。
関ジャニ∞の安田章大さん。ねえー何度も言ってますけど、プライベートで会った時に”逃げる”という、オレが...『なんだなんだ?この元気に近づいて来る人は?』つって。その件から始まり…あとこの度写真集を出したんだけどさーなんかオレTVのバラエティで一緒になることが多いから、その感じとは全然違う安田くんのこととか。あと病気のこととか。ちょっといろんなお話聞きたいと思ってます。
安田章大さん。この後すぐ登場です」
<<スポンサーコール〜CM>>
美「伊集院光とらじおとゲストと。ここからはゲストをお迎えし、ご本人にまつわる”●●と”についてお話をお伺いします。
本日のゲスト:安田章大さんは、1984年生まれ。兵庫県出身の現在36歳。13歳でジャニーズ事務所に入所し、2002年から関ジャニ∞として活動を開始。2004年にCDデビューし、関ジャニ∞では主にギターを担当。数々のアルバムやシングル収録曲で作詞・作曲を手がけるほか、ジャニーズのグループに楽曲も提供しています。一方では2018年には前の年、大病により手術を受けていたことを公表。生と死の輪廻を映した最新の写真集も発売前から大きな話題を呼んでいる、安田章大さんが本日のゲストです」
伊「ということで、スタジオに安田章大くんです。よろしくお願いします」
ヤス「よろしくお願いします!安田章大でーす!」
伊「きょうはいつもよりか比較的まともな格好してるね」
ヤス「あっは(笑)いつもちゃんとしてますよー!ちゃんとしてるんですよ」
伊「たまにびっくりするような格好んときあるからね!それは毛布?みたいなときもあるし」
ヤス「寒いときやったんでしょうね、毛布のときは」
安「暖をとってたんですね」
ヤス「暖をとってたんでしょう!」
伊「でもプロフィール聞いてたら、13歳でジャニーズ入ったのね」
ヤス「13歳です。おねえちゃんきっかけです」
伊「ジャニーズそのパターン多いねやっぱね」
ヤス「ボクももともと芸能界に興味があった訳じゃなかったので。でもおねえちゃんがジャニーズに興味あったんですよ」
伊「で、わが弟を見たら、これはコネクションをつけられるんじゃないかみたいなそういうスタートかなあ」
ヤス「嵐の相葉雅紀さんがジャニーズJr.の時代のとき好きで、でそれで」
伊「そうなんだ。でも13歳どうよそういう世界に急に入って」
ヤス「いやぁー違和感でしたよー。だって部活動みたいな感覚ですよね。でもうちの母親にオーディションに行く前の日に『あんたみたいな子は受からへんねんから行ってきたらええねん』みたいなこと言われたんですよ。それにカチーン来て。ほながんばろ思てって感じでしたねきっかけは」
伊「聞く話だと、割とみんな温度差があって、すんごい入りたい!で目指してる人から、今(の話)みたいにちょっとぽかんとしながら『なんじゃこりゃ』みたいな人からいろいろいるって」
ヤス「そうですそんな感じで幅広いです」
伊「でオーディション受けてみて、オレ受かるなと思ったの」
ヤス「いやいやいや全然受かると思ってなくて。1週間後に連絡が行きますっていう状態で、やはり行ったからには受かりたかったって気持ちがあったから、1週間後には電話の前で待機してました」
伊「来い来いって感じで」
ヤス「トゥルルルって電話鳴って出て『あ違かった』みたいなの何回かあって」
伊「ちょっと軽いコントがあってからの」
ヤス「でほんとに電話がかかってきて、第三次審査じゃないですけど、レッスンがあるから来てくださいみたいな形で。で初めて出たのが、滝沢(秀明)くんが歌ってる後ろでただ座っていて、途中で立つ、という仕事でした」
伊「おお。おお」
ヤス「それで終わりっていうのが1回目の仕事でしたかね」
伊「へええ。そこから自分なりに ”売れた” はおかしいけど ”やっていける” って思えるまでどのくらい時間かかったの」
ヤス「いやぁぁぁーーーーこれはもう初めダンスで、東京のJr.の子達が先輩のバックで踊っていて、できあがったものを(先輩が)大阪に来る時に、1日2日前に呼ばれて振り付け全曲覚えて、覚えられた子が(ステージに)出られるんですよ。覚えられなかったら出れないし。でちょっとでも出れたときに、あ認められたかもって思いましたね」
伊「じゃあほんとにちょっとずつだ」
ヤス「ちょっとずつです。でも一番飛躍するのは、マイクを持たせてもらったときですね。マイク持ったときに『マイクってこんなに重いんや』ってみたいな。うれしかったですね」
伊「うわー。”ついに”って感じなんだ」
ヤス「はい(*ほんとにうれしそう)」
伊「あの他の人の歌の途中で"立つ"仕事から」
ヤス「マイクを持ったっていうのはデカかったですね(*笑顔が目に浮かぶ声)」
伊「関ジャニが始まるのはどういうきっかけなんですか?」
ヤス「関ジャニ∞自体は、デビュー前に一応メンバーは揃ってはいたんですけど、自分たちで大阪松竹座というところで舞台を今の関ジャニ∞のメンバーでやっていた感じだったんです。2002年から関ジャニ∞としての活動が開始して、CDデビューは2004年。まずは関西だけで。そのあと、昨日ですかね、関ジャニ∞の全国デビュー日でした」
伊「お誕生日だねある意味ね。何年なの」
ヤス「そうですね。17年めに入りましたね」
伊「まあ病気の話にもなるんだけどさ、例えば今までに、ヤメたいって思ったことは」
ヤス「あ何度もありますよ。やはり仕事がないし。で多感な時期に仕事がない中、自分がどうやって進んでいくんだろうって不安感もありましたし。ましてデビューできるなんて決まってもなかったんで。ボクたちは関西だったんで、野放しの地区なんですよ!」
<一同笑い>
伊「なるほど。ジャニーズの中ではちょっと英才教育感はないんだ!」
ヤス「全然ゼロですよ!ジャニーズ事務所ってものは東京にしかなかったので、ボクたちは電話一本で『じゃあ明日仕事に行ってください』だったので」
伊「へええー」
ヤス「もおおおボクたちはいつどうなるんだろう?って感じで」
伊「東京の本社と大阪の倉庫、みたいな。在庫はあるかー踊れる在庫はあるかーみたいな感じなんだ。その不安はすごい訳だ。TVでジャニーズ見てるのとちょっと空気違う」
ヤス「なーんかTVは先輩たちいっぱい出てるし、おんなじ同期のジャニーズも出てるし。なんなら村上くんとか横山くんとかもうみんな一回東京出て行ったりしてて、よくTV出てたんで、ボクとか大倉・丸山とかからしたら、おんなじ関西だけどTVめっちゃ出てるなーいいなーみたいな感じでした」
伊「はあーじゃもう何ランクも劣等感があって不安感じちゃうんだ」
ヤス「うん」
伊「その頃さ、ましてやさフツーの地元の友達見ちゃうとそれはそれで楽しそうじゃん」
ヤス「そうなんですよねー。複雑でしたよーだから」
伊「へええー」
ヤス「でも!やっぱりジャニーズに入ってなければ経験できなかったことがたくさんあったので、自分の両親は両親と思ってますけど、ジャニーさんとメリーさんはもうひとつの両親やと思っていて、やっぱりそこに引き上げてもらったからこんな風に経験値もらえるなと思います。だって中学2年生か3年生でハワイに連れて行ってもらってるんですよ。ありえなくないですか?兵庫県尼崎の小僧が、ハワイに中2−3で行ってるんですよ。考えられないですよ」
伊「USJ連れて行ってもらっても結構うれしいぐらいのところに」
ヤス「うれしい!それがハワイですよ!びっくりですよ!ノーシシア(*たぶんノースショアと思われる☆)に行かしてもらったんですから!」
伊「へええー。ジャニーさんは、安田くんにとってどういう人なのかしら。オレたちからしたら、ほんっとに謎に包まれてる人だから」
ヤス「敬語を使うなってまず言ってくれてました。ボクを友達のようにしゃべりなさいみたいな感じでしたね。
それと、一番最初に言われたのは、出会ってからそんなに経っていないのに『YOUは器用貧乏だよ』と言われました」
伊「いきなり」
ヤス「はい。どこを見てそんなふうに掴んだんやろ。自分の中でもコンプレックスとしてあったんですよ。なんでもなんとはなしに器用にできてきたんで。でもそれをどうしたらいいだろうって考えたときに、器用貧乏から全部器用にできるようになればいいんだなって考えを切り替えるきっかけをくれた人ですね」
伊「どの人に聞いても、そういうズバッていうひとことがなんかある人なんだね」
ヤス「そうなんですエグってくるんです本当のことを。いやもうコワイぐらいに。やあすごい、だからすごいですねえ、すごいご兄弟と言いますか」
伊「何度もやめようかなと思ったときに一番なんだろう...引き止められるモノ、とかコトはなに?」
ヤス「”メンバー”と”ファンのみなさん”の、ほんとにこの2つかな。あとは育ててきてくださったジャニーさんメリーさんの”恩恵”ですかね。仁義ですかねそこに関しては。やはり自分は一人ではここまで来られなかったので、すべて支えてきてくれた人がやってきてくれたことに対しての恩返しを、自分がこの仕事をしながらするっていうのが自分のスタイルなのかなとは思います」
伊「そのファンの人とか、っていうのが全然いい子ちゃん発言じゃないなと思ったのが、メール一枚きていて」
ヤス「はい」
伊「こういうことなんだなって思ったのは、りなりんさん31才女性の方:
”おはようございます。安田くんに質問があるのですが。私は病気が発覚して丸3年になります”」
ヤス「なるほど」
伊「”少しずつよくなってきていた最中、再び数値が悪くなってしまい、少しだけ不安になってしまいました。質問なんですが、どうしたら安田くんみたいに前向きで温かい心でいられますか?”__みたいな話なんだけど、芸能の仕事ってこういうことな気がするの」
ヤス「ああなるほど」
伊「自分だけじゃないじゃん。病気して落ち込むことって自分だけじゃないじゃん。このあとちょっと病気の話もしてほしいんだけど、どうやって闘ったの」
ヤス「ボクは、誤解を招くような言葉はこういう生放送で言いたくないですけど、命あるものはいつか途絶えてしまうだろうし、でも、それを覚悟した上で生きていくから、”一瞬一瞬起きるたった今が楽しい”という生き方をすべきかなと思うんですよね。”たった今”が楽しくなければ、明日もきっと楽しくないであろうし、楽しくないと思いながら生きちゃうと明日はもっと楽しくなくなっちゃうだろうなあと思うから、ほんと今が楽しいと思える感情を、常に持ち続けることによって、明日もっと明るくなるっていう生き方をして、ボクは歩んできました」
伊「安田くんの場合は2017年の2月、いわゆる脳腫瘍の一種なんですね --髄膜腫っていうことで、頭を開いて腫瘍摘出手術を受けましたと。さらに後遺症もあってふらつくでしょう。倒れて骨折みたいなこともあったと」
ヤス「はい(*声が硬いように聞こえる)」
伊「オレはこの比じゃないけど、一度かなり深刻なヘルニアになって入院したときに、いろんなことを言われたけど、一番オレの参考になったのは、アニマル浜口さんが本に書いてた『昨日より痛くないと思い込め』っていう」
ヤス「あははは!それ大事です」
伊「スゴくない?ねえ。昨日よりちょっと楽しいと思い込んでかないと、次の日絶対楽しくなくなるのは、それと近い気がするんだよね」
ヤス「心のもちようなんですよね。心を健康に保ってあげると体が健康になっていくし。ボク自身もヘルニアの手術痛いの2回経験してるので、わかるんですよね。そういうふうにいろんな経験値があると、どうやって生きればいいんだろうっていうの(選択肢)が増えてくるなあと。
りなりんさんも、よくなったり悪くなったりの繰り返しは人生の中に必ずあると思うんで、その中で自分の心をどういうふうに育てれば明日が楽しく生きれるんだろうってことを自問自答することが自分を強くするきっかけになると思いますかね」
伊「最初はそうとうショック?」
ヤス「まったくショックじゃなかったんですよ。これが。不思議なんですよね」
伊「えっ!?どういうことどういうこと?」
ヤス「MRI、最初はわかってなくて、ボク元々偏頭痛持ちで、調べたことなかったのでちょっと脳波取りに行っていいですか?ってマネージャーさんにお伝えして、そしたらMRI取ってる最中に、とんとんとんってお医者さんに起こされてちょっとこっち来てって言われて見に行ったら、そのMRI画像に野球ボールみたいな腫瘍があって、大きかったんですよ。これ腫瘍だからダメだねえって言われて、ああそうですねえ腫瘍ですねえっていうテンションでした。そのあとチーフマネージャーさん呼んでって言われて」
伊「今スタッフに渡されたんだけどこれは...」
ヤス「ミニブックなんですけど。写真集につく…」
伊「えっ今回の写真集に付く?あっそのときのMRIの画像をミニブックにお付けしてるの??ミニブックってそういうもの???あっそうなの。それは覚悟のもんだね」
ヤス「これは病院に入院したときのほんとに手術直前の写真から」
伊「開頭手術跡の接合面あるじゃんか。ほんとに全部包み隠さず見てちょーだいってことなんだね」
ヤス「アイドル=きれいな存在という見られ方をする立場ですけど、より近い距離感で心と心で繋がる立ち位置でボクは存在していたかったので、これからの自分のジャニーズの中でのアイドル像を”2次元”じゃなくて”2.5”とか”3次元”とか、より立体的に、人間らしい、人間力のある”ただの人”という存在になりたくて、こういうアプローチの仕方をしてみてます」
伊「面白いね。カッコいい…踊りカッコいい、歌カッコいい人ってもしかするとちょっと記号的だよね。それを頑張るっていうのも仕事じゃん実際は。そういうランドマークの人がいるのも仕事だけど、あの人簡単じゃないんだ、あの人も大変なことを経験してるっていうのはもしかしたら”2.5”かもしれない」
ヤス「そうですねえ。そういうところを求めてくださる方々もたくさんいらっしゃると思いますし、そういう(カッコいい)道を作ってきてくださった先輩たちがいるから今の自分がこういうふうに行けるんであろうし。より、みなさんと同じような生き方をしてますよーっていろんな感情を毎日ぐるぐる回しながらアイドルという仕事をしていますってことを、なんか、胸を張って言いたいなーと思って」
伊「最初はそれほど強く『大変なことですよ!』という先生じゃなくて、割とふわっと教えてくれる先生で」
ヤス「ボク自身も『あそっか。なるようになるなー』っていう感覚でした」
伊「大変だったのは何?」
ヤス「えーーーーーー(←正確にはえとあとおの間の音)親がショックを受けたことがボクにとっては」
伊「あー自分よりもずっとなんだ、親が大変だ大変だなってんだ」
ヤス「やっぱ心配してました親が。それを見てる自分が一番辛かったですね。ボク自身は、途絶える時は命は途絶えるし、生きてる時は生きてるしって感覚で、手術の前日も手術の日も手術の数分前も何も怖くなくて、そのままって感覚だったんですけど、手術終わった後、父親の声、母親の声、おねえちゃんの声を聞いたときに、ああツラい思いさせたなーって思いました」
伊「オレ、このことをきちんと公表する前も一緒に仕事してるよね。最中の頃に仕事しててもわからないからさ、それこそメガネを変えたりしたじゃん。あれも強い刺激がなるべくに入らないようにって色でしょ。でも知らないからさ『まーた変わった格好始めたな』と思ったりしててさ」
ヤス「あははそうですよね。絶対そうだと思います。あっそういう意味ではボクずっと、手術をしたことも伝えられなかったりとか、色付きのサングラスを着けないとテレビに出られないとかはもどかしかったです。誤解を招いているなーというふうには感じていたので」
伊「オレは誤解っていうか今はこういうのが流行ってるのかなって。あまりにメンバーとしゃべってると明るくて楽しそうだからさ。その明るさからは、今深刻な病気の状態があるとか全然思わないからさ。ほら、そもそも出会いがしまなみ海道の変な島の駐車場だからあ」
ヤス「だって伊集院さんどっか逃げていくんですもん」
美「あっははははは」
伊「びっくりするわ遠くから急に。すごい手ぇ振りながら。しかも芸能人がいるとお互い思わないよね」
ヤス「それはそうですよね」
伊「小さな島の誰もいないような駐車場なんだから。きったねー木から落ちちゃったようなみかん売ってるようなところなんだから。そこでぐったりしてたら、向こうからすーげえ明るいお兄ちゃんが来るからさ。そのまんま自転車にまたがってんの。
ヤス「おもしろかったあんとき」
伊「今一番楽しいことなんですか?やれることやれないことある中で」
ヤス「あーまあこんな環境下ですけどボクよく外に出て日光浴するんですよ。例えば自転車に乗って、今東京に住んでたりするんですけど、40分自転車で走ったりとか。日光浴しながら自転車で走るとか。風を浴びるとか、ベンチに座って風の音揺れてる音聞いたりとか好きなので、それが一番心地いいですかね。
それから木ぃ触ってみたり、地面に素足で触れてみたり。そうすることでアーシングできるんで、自分の中に溜まった電磁波を流していくっていうか」
伊「アーシングはearthのアースか!そういう感じがするんだ!」
ヤス「はい。なのでそれでリフレッシュしていくっていう」
伊「そのストレートな言葉に説得力があるのは、あの大病をやって、その大病の後のこととも一緒に生きていると、オレらはそういうのがないと『コロナのせいで!』ってなるんだけど、そんなことは手前に経験しちゃってる感じなのかなあなんか」
ヤス「ボク的には今伊集院さんがおっしゃってくださったように、コロナ禍になった中でもそれまでの生活となんら変わらず、心の健康状態もなんら変わらなかったです。だからどんどんどんどん、自分がどうすればいいのかを探して書物を読んだりして自分の好きな思考を巡らせていってましたね。ネイティブアメリカンの書物とか老荘思想の本とか」
伊「ほうほうほう!すごいとこ行くね」
ヤス「そういう書物を読んで思考を自分の中に取り入れたりとか、あと稲盛和夫さんの本とか読ませていただいたりとか」
伊「はああああジャンルすげえな!」
ヤス「いいとこを自分の中に貯めていって、表に出していけば、みなさんにも届くし、自分の中でも心が安定するしっていう生き方を選んでみてますね」
(ここまでで20分:ここからは写真集のお話に入ります)
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